祖父のお葬式:最後くらい自分の我を通しても良い?
祖父は自分のお葬式について、いくつかのことを
言い残していました。
闘病中は自宅に帰りたがっていましたが、自分の死期を
悟っていたようで、最後の一時退院が終わる時、
もうこの家に帰ることはないだろう、死んだらここに
戻さないでと言っていました。
言いおかれた方はそんなこと言わないで、
また戻ってこれるからと言っていましたが、すっきり行きたいんだが
口癖で、実際、その通りになりました。
また、自分のお葬式は子供と孫だけして、全てが
終わってから親戚には知らせるように、墓前にとかいうのも
断ってくれと言い残していました。
戦中から戦後にかけて、かなり苦しい生活をした時、
本家を含む親戚と色々あったようで、それが祖父の心に
しこっていたようです。
そのため、療養先から葬儀社に運ばれ、お坊さんが来て
読経をしてくれて、火葬して、骨になって自宅に
戻るというところまで、本当の意味で親族だけで済ませました。
母はここまで徹底しなくてもと言い、残された祖母は
祖父が亡くなった後も生きていかなければいけないのにと
不満げでしたが、孫の私はこういうシンプルなお葬式も
良いなと思いました。
もちろん喪失感はあったのですが、まるですっと空気に
戻っていくような感じであの世に旅経ちました。
母の言う通り、祖父のお葬式は、自分の我を通し、
残された者に対しては優しくないかもしれません。
しかしながら、リアルな世界では誰もが周囲に気を
遣いながら生きています。
最後くらい、自分の意思を通しても良いのではないでしょうか。